家族の社会関係

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家族内における社会関係の考察である。これが清水社会学にとっての重要テーマである。家族内社会関係は、夫婦関係、親子関係、兄弟関係の三つに分けられ、 さらにそれぞれが親和関係と従属関係に分けられる.清水によれば、家族における結合関係の特徴は、「結合そのものが主たる目的として追求せられ、他の目的に対する手段的意義を有することが少ない」点にある。換言すれば、「家族の人々にとって、結合はそのものとして追求せらるべき一個の価値である」。清水はこれを「親和関係」と呼ぶ。しかしながら、歴史上の家族は単なる相互親和の関係だけからなっていたのではなく、家族内には不平等者間の支配と服従の関係がたくさんあった。これが清水のいう「従属関係」である.以上から、家族内社会関係は、
(1)夫婦間の親和関係、
(2)夫婦間の従属関係、
(3)親子間の親和関係、
(4)親子間の従属関係、
(5)兄弟間の親和関係、
(6)兄弟間の従属関係、


の六つとなる。夫婦間の親和関係は、 ロマンティンクな愛の発生を契機とする。夫婦間の従属関係は、 コントいらい多くの社会学者が、家父長制家族の統一性の形成契機として説いてきたものである。親子間の親和関係は親子愛であって、 これは夫婦愛を維持し強化するための重要な契機である.親子間の従属関係は、親子の年齢差から生ずる親の体力と知力における優越を契機としている。兄弟間の親和関係は、存在共同における親への共属関係を契機とする。兄弟間の従属関係は、年齢差と出生の順位を契機とする。

最後に「家族の周辺」という題になっているが、これは家族外に広がる親族関係の考察である。ここでは、第一にモーガンの親族称呼説への批判が再度取り上げられ、第二に父系親族集団、母系親族集団、単系で外婚の親族集団としての氏族が論じられ、第二に親族間における遠近・親疎の関係としての「親等」が論じられる。しかしこの章は簡略にすまされている。
富永コメント 清水盛光の『家族』は、西洋の家族史文献を詳細にあとづけて理論化した、すぐれた研究である。しかし私が残念に思うのは、清水が戦前において中国の家族と宗族について膨大な研究を展開した中国研究の専門家であったにもかかわらず、 この本には中国のことがほとんど出てこないことである。清水はこの本で、 自分自身の中国研究をまったく引証していない。

私は本書に、 日本の「家と同族」研究とも、文化人類学者による未開社会の氏族の研究とも一味違った、文明社会である中国の氏族について清水独自の理論的展開を期待したのであるが、 この期待はみたされなかった清水は序文に「私はこれによって一度親しんだことのある問題に帰ることとなった」と書いており、このたった一行の短い文は、彼が『支那家族の構造』との連続性を明確に意識していたことを示しているが、それはあまりにも控えめでありすぎるように思われる。清水は元来、著書の序文などでみずからを語ることのきわめて少ない、抑制的なトーンの人であるが、それにしてもいったいなぜ、彼は『家族』の中で自分自身の膨大な中国家族の研究について何も語らなかったのであろうか.思うに清水がこの本でめざしたことは、 ヨーロッパの家族、中国の家族、日本の家族といった比較史研究ではなく、社会学一般理論としての家族理論を書くことであった。家族社会学はもともと戸田貞三の『家族構成』いらい実証研究と結びついて発展してきた分野であるため、純粋理論的に書かれた著作は少なく、清水の『家族』のように理論社会学の用語を厳格に適用した家族分析は他に例がないといってよい。英独仏の諸文献を縦横に駆使する清水スタイルは、処女作『支那社会の研究』においてすでに確立されていたのであるが、 にもかかわらず、清水は本書以前に、社会学理論そのものについて本を書いたことはなかった。だからこそ逆に、清水は『家族』というテーマを与えられたとき、純粋社会学理論としての観点からする家族の一般理論を書きたかったのだと思われる。 この本に次ぐ清水の主著が『集団の一般理論』であったこと、 しかも同書で用いられている術語が『家族』のそれときわめて類似している事実は、そのことを端的に示している。

しかし、清水盛光が「私の研究上の立場は社会学的である」とか「社会学的立場に対する私のふかい信頼感」とかいう時の社会学は、 どのような社会学なのであろうか。社会学理論書としての『家族』は、そもそも社会学理論のいかなる流れに位置づけられ得るであろうか。


高田保馬の「関係社会学」からの影響は明瞭である。しかし「関係としての家族」という視点は、次に述べる山根常男の家族理論にもジンメル経由で含まれている.清水は近代家族の分析に力点をおかなかったとはいえ、家族の近代化を大家族(家父長家族。直系家族)から小家族(核家族)への移行としてとらえ、マードックに準拠して家族固有の機能は核家族の機能であるとした。この考え方は山根の構造―機能理論と共通しており、山根より30年前にそれを先取りしていたとさえ言える。また山根が強調する、家族に固有の機能は育児であるとする視点は、清水においては四機能の中に種の再生産と文化の伝達として含まれている。これらの理由から、私は清水盛光を山根常男とペアにして、構造―機能理論の文脈からする家族理論として位置づけたい。これが、次に山根の家族理論を取り上げる理由である。




領域社会学における理論形成

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1950-60年代の社会学において第一線を形成した領域社会学は、質的社会調査を積み重ねることによって日本の社会的現実に触れ、抽象的な理論を排して事実について語る、 ということを目的としたものであった。しかし領域社会学の中に位置しながら、 フィールドワークをしないで、あるいはしてもそれだけに依存しないで、文献サーベイによって一般理論をつくるというやり方もあり、近年そのようなタイプのものが増えてきた。この章では、そのようにして書かれた諸研究の中から、私が感銘を受けているものを、家族社会学と産業社会学の諸領域から取り上げたい。

最初に、清水盛光と山根常男の家族社会学を取り上げよう。それらは、家族という領域社会学の中で一般理論を追求したものである。清水盛光の『家族』は、世界的な規模で見た家族の発展史を、諸文献のサーベイを通じて理論化した。山根常男の三部作『家族と人格』『家族と結婚』『家族と社会』は、家族が基本的に夫婦関係と親子関係からなる集団であって、その中心機能は次世代者たる子供を育てることにあり、社会学の家族理論はこの機能を明らかにしなければならないとした。「家族と同族」の農村調査だけでは、清水や山根の著作のような理論的知見は得られない。
これらの次におかれた二著作は、 どちらも産業社会学にかかわるものである。稲上毅の『労使関係の社会学』は、調査からのアプローチである点では尾高や松島の産業社会学と基本的に同じであるが、それらに欠けていた国際比較的な展望に着眼し、 日本の「豊かな社会の労働者」をイギリスにおけるゴールドソープの研究と対比しながら理論化しようとしている。 また梅澤正の『企業と社会』は、 これまでの産業社会学が企業の内部のみを見て、社会学にとって最も重要なはずの「企業と社会」との関連というマクロな問題設定をしてこなかった空白を埋めるために、企業を取り囲んでいるさまざまな諸社会とのつながりという問題に挑戦したものである。
日本の家族社会学は戦前に戸田貞三によって創始されたが、戸田は日本以外の国の家族には目を向けなかった。戦後においても、本書第3章で領域社会学としての家族社会学で取り上げた「家族と同族」の研究は、 日本の家族についての実証研究に限られていた。
これに対して、戦前から戦中にかけて、清水盛光1)と牧野巽2)を双壁とする中国の家族・親族と村落社会構造の研究が出現した。清水の『支那社会の研究― 社会学的考察』(1939)、『支那家族の構造』(1942)、『中国族産制度致』(1949)、『中国郷村社会論』(1951)と、牧野の『支那家族研究』(1944)、『中国宗族研究』(1949)がこれである。清水の研究も牧野の研究も、近代以前の中国の家族・親族と村落の歴史的研究に関するものであったから、社会調査法によるフィールド研究では不可能で、西洋語文献と漢籍の読解を通じての研究であった。彼らの研究はどちらも、戦前・戦中において、 日本において中国への関心がさかんであったことを背景としてなされたものであった。しかしそれらの多くは、出版された時には戦後になっており、残念なことに戦後日本では、中国に対する関心はもっぱら毛澤東革命後の中国に向けられるようになってしまった。このため清水と牧野の著作はどちらも戦後の若い読者の関心を引く度合いの少ないものとなり、直接の研究上の後継者は得られなくなった。しかし彼らが達成した高度な研究水準は現在にいたるまで超えられていない、 ということが強調されねばならない。ここでは清水の戦後の理論的著作『家族』(岩波書店、1953)を取り上げよう。
清水盛光は、九州大学法文学部に学んで高田保馬の講義を聴き、理論社会学への深い関心を植えつけられたとみずから「序」に書いている。しかし高田は、清水の在学中に京大経済学部に転出してしまった。清水が中国研究家になったのは、最初の著作『支那社会の研究』の「序」によると、1935年に満鉄調査部に入社して、「旧支那社会組織の研究を命ぜられ」たためであった。 しかし特筆されるべきは、清水は中国研究家になるよりも前に、社会学を研究するという強い専門意識を確立していたことである。『支那社会の研究』(1939)には「社会学的研究」という副題がつけられ、その序文には「社会学処理の対象は、あくまで豊富な社会史的事実でなければならぬ」と書かれていた。またその次の著作『支那家族の構造』(1942)の序文には、「本書における研究の立場は社会学的である」と明記されており、 さらに『中国郷村社会論』(1951)の序文では、この研究は資料の不足やその他の事情によって多くの困難に遭遇したと述べたあと、 しかし「計画の遂行は不可能でない
といふのが私の当初からの確信であり、 この確信を私に与へたのは、社会学的立場に対する私のふかい信頼感であった」と書かれていた。これらのことは、彼が満鉄に勤務して、大学の社会学研究室のように社会学者に囲まれた環境にいなかった中で書かれたものである。
清水盛光の『家族』の最大の特徴は、家族を世界史的な広がりにおいて見ることにある。近代家族は単独で登場することはなく、それが登場するのは伝統家族が解体して近代家族に移行するという文脈においてのみである。だからこの本の大部分は、未開社会と西洋の古代および中世における家族を語っている。



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